龍之口八幡宮について

龍之口八幡宮は岡山市中区祇園龍ノ口山国有林の地内にあります。勧請※1の年代は不明ですが、孝謙天皇の御代に、岡山市金山寺、西大寺観音院を開帳された報恩大師がこの神社が霊験あらたかであると説かれたと伝えられており、奈良時代の天平勝宝年間にはお社があったものと推察されます。

その後、一時廃社同様になっていましたが、江戸時代、岡山藩主池田光政侯の崇敬篤く、寛文元年湯迫の地に社領十五石が寄せられ、同時に社寺奉行稲川十郎右衛門尉長、普請奉行田口五左衛門一成に命じて本殿が再興新築されました。この時より「正八幡大神」と称されるようになりました。

寛文六年藩主池田侯が、備前の神社一万五百二十九社を六百一社に整理し、更に正徳年間に七十一社に整理された時も当社を存続させただけでなく、武運長久・国家鎮護・風炎八休の神として、家臣の日置猪右衛門忠治を代参させています。又、宝永二年毎月一日備前の社務掛吉備津宮祠官大森筑前守藤原光隆が祈願を行っています。享保元年大修理、天保十一年より参道修理が行われ、工事が終了した嘉永元年絵馬堂が寄進されました。

明治元年、「龍之口八幡宮」と改称、村社に列せられました。明治三十九年本殿、拝殿等が改築修理され、更に昭和に入り社殿の全面的改修が行われ、昭和十四年四月に社殿全般の整備を竣工しました。

明治以降参拝者は次第に増加し、家内安全・厄災消除等と並び、特に戦時中は武運長久の神社として、岡山県下のみならず近県の人々からも崇敬されてきました。現在は小高い山の頂上にある受験の神様として広く知られています。

標高200m超の参道、境内からの眺望はすばらしく、付近一帯は自然がよく保たれており、平成改年を記念して龍ノ口山国有林の一角に設置された森林公園「龍ノ口グリーンシャワー公園※2」は、自然探勝・森林浴など岡山市民の憩いの場として親しまれています。

※1.神仏の分霊を移して祭ること
※2.平成22年より龍ノ口グリーンシャワーの森に名称変更

御祭神

神功皇后(じんぐうこうごう)

応神天皇(おうじんてんのう)

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

伝説

寛文年間、藩主池田光政侯が岡山市牟佐に遊猟に行かれ、その帰り道龍ノ口山の麓を流れる旭川を舟で下っていると、川面に大蛇が横たわり舟の行く手を遮っていました。光政侯は自ら弓を取り八本の矢を射りましたが、矢はことごとく外れました。そこで光政侯は大蛇に向かい
「心あれば退け。以後は八幡宮の守護神として御祀りしよう。」
と申されると、大蛇はたちどころに山中に姿を消したという事です。

旧跡

七曲の石段

七曲の石段

龍之口八幡宮境内付近一帯は龍之口城の城跡で、岡山市の東北にある龍ノ口山※3の北部の別峰※4の頂上に築かれ、天然の要害にある難航不落の城でした。

永禄の昔、金川城主松田右近将監元成に属する穝所治部元常が龍之口城を居城とし、沼城の宇喜田直家の軍と幾度も戦いました。現在も地名に「馬乗場」、「陣屋」、「東の陣」、「侍屋敷」、「七曲」等が残っています。

合戦については諸説あり、「吉備群書集成―吉備温故秘録」、「高島村史」などに戦いの様子が詳しく記されています。

龍ノ口山麓は池田藩の狩猟地として管理され、鹿・兎・猪等が多数捕獲されたという記録が残っています。又龍ノ口山南面には昭和三十一年に発見された車塚古墳を始め数多くの古墳が点在しています。

※昭和十二年十一月五日発行「龍之口八幡宮祝詞」の由緒記部分を加筆、訂正しました。

※3.標高256メートル
※4.標高228メートル

参考文献

神社本庁 | 岡山県神社庁 | 伊勢神宮 | 宇佐神宮 | 大神神社 | 株式会社あさひ合同会計

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